第12回日本医療コンフリクト・マネジメント学会
学術大会 ご挨拶

瀬戸際で/を考える

大会長講演で話したくて話せなかったこと(2)
ー医療・看護の目指すべきものについてー

第12回医療コンフリクトマネジメント学会で話したくても話せなかったこととしてここで取り上げたいのは、われわれ医療従事者が最後に目指すべきものはなんなのか?ということです。

失敗やエラーに関わる謝罪の問題とはまったく別に、超高齢化社会の日本で医療や看護(以後はヘルスケアという言葉を使ってもっと広義に介護なども含めようと思います)が抱える大きな問題は治療方針を決めるにあたっての意思決定の問題です。認知症患者の自己決定をどう考えるか、意識不明の独居高齢者の救急搬送時の意思決定をどう考えるか、家族間で方針がまとまらず本人は意思表示しない事例での意思決定をどう考えるか、高度に進歩した医療技術をどこまでどのような患者に適応するのか、ヘルスケアは治療方針決定について大きな問題を抱えながら動いていますが、そのことについてあまりにも議論が少ないのが実情です。多くの人がそこに問題があるとは思っていますが、声に出して議論を始めるにはあまりにも問題が複雑かつ困難で、さらに現場は次から次へと新しい問題が発生するので、落ち着いた議論に臨むことは難しいというのが現実なのだと思います。。

どのような立場を取るにしても、最終的に目指すべきもののイメージが共有されないと、いくら話し合おうと言っても机上の空論がくるくると宙を舞うだけのことで終わってしまいます。。

多職種協働のためにはなんらかの望ましいヘルスケアのイメージが必要だと思います。ここでもウィトゲンシュタインの話を引用してそのイメージづくりに役立てられればと思っています。

ノーマン・マルコムという哲学者でウィトゲンシュタインの弟子であり友人であった人の書いた『ウィトゲンシュタインー天才哲学者の思い出ー』という本で私はウィトゲンシュタインのことを知りました。20世紀最大の哲学者と呼ばれ、一方で大学内にとどまるのではなく突然に大学を辞めて、哲学さえもその重大問題は解決した(!)と考えてやめてしまうという、破天荒なその人生は、残された『論理哲学論考』や『哲学探求』という書物の面白さ(もちろん難解でもあります)とも合わせて、世界中の人を魅了しており、マルコムの本を初めて読んだときには私も唖然としかつ魅力を感じたものです。こんな人がいたのか・・・と。

ウィトゲンシュタインのケンブリッジでの授業スタイルなどもかなり吹っ飛んだもので、医学教育のコアカリでAI導入やリモート授業の是非を議論している人たちに読ませたいものです。多くの授業をリモートでやったとしても、いくつかの質疑をAIでやったとしても、最後の最後は人間が人間を目の前にしたリアルに教授するプロセスは絶対に消し去ることはできないものだと思います。またヘルスケアにおいては最後は目の前の人を対象とした教授のプロセスは不可欠なものだと思います。

マルコムはウィトゲンシュタインが亡くなるときのエピソードでその回想録を終えています。以下にその部分を引用します。ちなみにウィトゲンシュタインは1951年4月29日に亡くなっています。

(以下、引用)

4月27日、金曜日、彼は昼過ぎに散歩にも出たが、その夜、病状が急に悪化した。頭はずっとハッキリしていて、医師から、あと二、三日しか持たないだろうと言われたとき、「わかりました!」と叫んだ。意識を失う前には彼はベバン夫人に(ウィトゲンシュタインが癌の末期だと分かったとき、最後はベバン医師の自宅で療養し、その医師の妻がベバン夫人である。彼女は夜中中彼に付き添っていた)、「僕の人生は素晴らしかった、とみんなに言ってください」と言った。みんなとは、きっと自分の親しい友達のことを指していたのだろう。素晴らしい人生、彼の底知れないペシミズム、たえず持ち続けた同義的な苦しみ、冷酷なまでに厳しく自分を追い詰めていった知識への情熱、そして愛情を必要としながらも、愛情を遠ざける結果となった他人に対する厳しさ、といった彼の人となりを思い出すとき、ウィトゲンシュタインの人生はひどく不幸なものだったと私は考えたくなる。けれども、その生涯の終わりに、彼自身は素晴らしい人生だったと叫んだ。私には、この言葉は不可解である。けれどもまた、不思議にも人を感動に誘い込む響きを持っている言葉でもある。

(引用、終わり)

このマルコムの回想録の最後の部分を読んで、いい話ではないか、とずっと思っていました。けれども最近高齢者の終末期を数多くみている中でちょっと違った観点から考えるようになりました。

ウィトゲンシュタインの人生と性格から考えて、最後に「自分の人生が素晴らしかった、そう伝えて欲しい」と言えたのは、マルコムが率直に述べているように不思議なことです。私はベバン夫人の終末期のケアがなければこのセリフは無かったと思うようになりました。実際問題、ウィトゲンシュタインの世話をするということは、とても大変なことだったと思うのです。それは医学的な問題ではなくて、彼の性格から、そう思うのです。マルコムの本にも、またレイ・モンクという人が書いた大部な伝記によっても、ベバン夫人はとても緊張して、当初は恐れを抱きながらウィトゲンシュタインに接していたことがわかります。徐々に打ち解けてその関係はずっと穏やかで実直なものに変わっていったとは思いますが、しかしそれでもベバン夫人は絶えずある種の緊張感を持って接していったと思います。

ウィトゲンシュタインという人の気難しさ、言葉に対する敏感さを感じながら、終始自分の言葉遣いや態度に配慮をしてベバン夫人はウィトゲンシュタインに関わっていったと思います。この「緊張感を伴ったケア」が重要であり、かつ最終的にヘルスケアが目指すべきもののように思えるのです。

少し話を広げてしまいますが、高度に進歩した医療技術では、終末期にさまざまな介入ができます。そして私たち医療従事者は人工呼吸、胃瘻による栄養、気管切開、静脈栄養、薬物による鎮静、物理的な身体抑制など、人生の最後にこれらのさまざまな介入についてその希望を本人や家族に問い、そして実施していきます。その結果としての「その人の人生」について私たちはどこまで自覚的なのでしょうか。もっと言えばその先のことについて責任を持ってそれがよかったといえるような介入をしているのでしょうか。自分自身の大きな反省も含めて「否」だと思います。

ベバン夫人がケアをしたウィトゲンシュタインの最後を、あえて私はこういうものを目指すべきだと言ってみたいと思います。ハードでタフな人生を生きてきた人、最後の最後は孤独で一人ぼっちの人、何度も手術を受けさらに抗がん剤治療をしそれでも病勢に打ち勝てなかった人が、突然の病や事故で助からないと分かった人が、ああ、やっぱり生きてきてよかったな、誰かにそれは伝えたいな、と思えるような、そういうケアを目指すべきように思ったのです。高度な医療技術も、さまざまな社会制度も、そしてヘルスケアスタッフが提供するケアも、なんのためにそれをやるのか?という問いに答える必要があります。

ウィトゲンシュタインの最後の言葉を引き出すに至った、相手への深い洞察と緊張感のあるケアこそがヘルスケアが最後に目指すもののように思ったのです。

長谷川 剛

大会長講演で話したくて話せなかったこと(その1)

第12回医療コンフリクトマネジメント学会は多くの方々のおかげで無事に終了することができました。ありがとうございました。大会長講演やクロージングセッションで話し切れなかったことをここで少しだけ書かせていただきます。

午前中の大会長講演及び古田先生の特別講演での主たる話題は謝罪であったり責任であったと思います。そしてそこでの重要なポイントはどのような言葉を使ったとしても、「置き換え不可能なかけがいのない経験」に対して、その当事者のこの辛い事態に対して「なんとかしたい」という意思がとても重要だということだと思います。

午後のセッションでは多職種協働ということがテーマになりさまざまなお話がありました。私自身は自治医科大学に勤めていた頃に大学の教員として多くの貴重な経験をさせていただきました。かつて高久史麿先生が学長を務めておられた自治医科大学は日本一高い国家試験合格率を誇る学生教育「超」重視大学だったのです。そのときの経験談でも十分に興味深いものがたくさんあるのですが、ここでは医療専門職の教育にとって私が重要だと考えていることをウィトゲンシュタインの逸話に絡めて少しだけ記しておきたいと思います。

Rush Rheesという人が編集したRecollections of Wittgenstein(Oxford University Press, 1981)という本があります。その本の中にM. O’C. Drury(以下、ドゥルーリー)という方がSome Notes on Conversations with Wittgensteinというウィトゲンシュタインとの会話を記録しコメントを書いたものを寄稿しています。これがとても興味深い読み物なのです。

ウィトゲンシュタインはケンブリッジ大学にいた頃にドゥルーリーと出会い、これまた紆余曲折があって彼が医師になろうとすることに影響を与えていて、また実際に資金面でも大きな協力を行いました。彼が研修医を始めたころ、医師の一年目には誰にでもあることですが、自分の無知と不器用さに大変落ち込んでしまってそのことをウィトゲンシュタインに話したのですが、ウィトゲンシュタインはとても冷たい態度でそれは経験が無いだけだよ、と対応したのです。でも翌日ウィトゲンシュタインから手紙が来ます。

ドゥルーリーへ

日曜日の会話について考えたので少し書きます。自分のことを考えるのではなく、他の人のこと、患者さんのことをもっと考えなさい。昨日の公園で、医学を始めたのは間違いだったのかもしれない、とあなたは言いました。確かに、医者になれば間違うこともあるでしょうしボロボロに疲れ果ててしまうこともあるでしょう。でももしそうなったとしても、その職業を選んだことが間違いであることとはなんの関係もないことです。

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今必要なのは、自分がいる世界で生きることであって、自分がこうあって欲しいという世界について考えたり、夢を見たりすることではありません。目の前の人の心身の悩みや困っていることをしっかりと見つめてみなさい。そのことはあなたの悩みを溶かしていくでしょう。もう一つの方法は休むべきときにはしっかりと休むことです。
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患者さんを傷つき病み困っている一人の人間としてもっとよく見てください。多くの人に「おやすみなさい」と言える機会をもっと楽しんでください。これだけでも多くの人があなたを羨む天からの贈り物です。そしてこのことがあなたの傷ついた魂を癒してくれるはずだと私は信じています。疲れたときはただ休めばよいのです。あなたはある意味、人の顔をよく見ていないだけなのだと思います。
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なんとも素敵な感動的な手紙で、ドゥルーリーがウィトゲンシュタインに心酔したのもよくわかります。これは私自身の医師人生にとってもとても意味のある文章となりました。

医療にたずさわるもの、看護にたずさわるもの、教育に携わるもの、全ての人に、思うようにいかず疲れ果ててしまったときに、目の前の人の顔をしっかりと見て、その人の悩みに心を開き、そして(もし言えるのなら)おやすみなさいと言ってみることは、私たちのボロボロになった魂を癒してくれることでしょう。

でも何よりもこういった気持ちを持つことが対話のスタート地点のように思えます。一見傷ついた自分の救済なのですが、しかしおそらく目の前の患者さんにとっては違った形でその人の力になるようなプロセスであり、ケアにおける双方向のなにものかを立ち表せてくれるように思えます。これは教育現場でも同様のことが言えるのかもしれません。目の前の学生の顔をしっかりと見ること、学生に声を掛けること、これらは傷つき悩む教師にとって、大切なことなのかもしれません。

私たちは言葉を使うことでしか考えを示すことはできません。言葉はしばしば私たちを欺き裏切ります。言葉を図式的に切り分けることには慎重にあるべきですし、紋切り型の言葉を使って何かを語った気になることにも慎重でいるべきでしょう。

でも一方で言葉は私たちを助け救済してくれもします。言葉によって自他の人生を変えていくこともできます。

私にとっては、言葉の重さ、不思議さ、そしてその魅力について改めて考えさせられた1日でした。。

長谷川 剛

シンポジウムに添えて

この三年間、世界はCOVID-19という新型コロナウイルス感染症に翻弄されてきた。感染症の恐ろしいところはそのほとんどはわれわれの肉眼では見ることのできない微小な病原体によって拡散されるところだ。目に見えない病原体によって目の前の家族や知人の状態がみるみる悪くなっていく。次から次へと周りの人が倒れていく。それを目の当たりにすれば言葉にできない恐怖に襲われてしまう。

恐怖に囚われた人間は、自分自身を守るために(家族を守るために)危険があると自分が考えた対象に対して差別や隔離を開始する。この三年間私たちが見てきたものは、感染症のパンデミックは残酷な「分断」をあちこちに生み出すということだ。

国家の中でのロックダウンもその一つの現れだ。あるいは病院の中のゾーニングもその一つの現れだ。感染者に対する汚辱の意識を交えた差別意識もその表現の一つだろう。医師や看護師にとっては、この感染症診療を引き受けるべきか否かという問題も病院組織に数多くの大きな分断を生み出しただろう。

患者やその家族においても、その最も重要な臨終の時を共有できなくさせてしまい、あるいは病床での面会も著しく制限され、施設においてももはや直接顔を合わせ手を握り背中をさするという触れ合いが極端に制限されてしまった。これらも感染症パンデミックが生み出した分断の一つの現れである。

この分断の中で私たちはいかに人間としてのコミュニケーションの再興が可能であっただろうか。この現状でメディエーターや病院管理者はいかに考えいかに行動したのだろうか。

感染症の蔓延の中でこの分断を乗り越えて人間らしいやりとりをいかに復活させるかは、今後も世界にとっての大きな課題として残るだろう。われわれは感染症という目に見えない脅威と闘いながら、目の前のゾーニングラインの手前で立ちすくみながら、まさに瀬戸際で考え続けなければならない。シンポジウムが皆様の考えを深める一助となれば幸いである。

教育はあらゆる専門職領域にとって超重要課題である。

さらに医療や法などの専門職領域のプロフェッショナリズムを考える際に、教育という視点でその内容について言及することは個々の指導者や現場の実践者に優れた示唆を与えることができると私は信じている。後進にどのような実践を教育したいかという視点はその人にとって言語化できない知恵も含めて「よりよい」パフォーマンスを目指すにあたってさまざまなことを考えさせてくれるのだ。

その一方で何を教育するのかという議論は退屈である。ときに不毛であるとさえ思える。優れた医療者を育成するのに何を与えるべきか、優れた法律家を育成するのに何を教えるべきか、この議論は非常に重要であると同時にしばしば不毛な議論に陥ってしまう。現場の実践者と教育者としての在り方から、後進への教育を考える際に、若手にどのようにあって欲しいかという気持ち、それは「欲望」と言い換えてもいいだろう、はわれわれが離れてはならない瀬戸際なのだと思う。

現在、教育の問題を考えるにあたってAIをはじめとするテクノロジーの問題から離れることはできない。一方で教育に関わるものたちのテクノロジーに関する考察には大きな不満が残る。それは当然のことなのだ。彼らもテクノロジーに飲み込まれその波の中で必死に泳ぎ喘いている遭難者と同様だからだ。

優れた人工知能を前にしても、やはり私は人間として最後の一線をどう考えるかを悩み続ける能力を与えることが医学教育の重要な役割だと指摘しておきたい。手塚治の優れた作品をあえて提示するのなら、『アドルフに告ぐ』ではなく、『火の鳥未来編』のなめくじの言葉をこそ引用すべきなのだと思う。それが瀬戸際を考えるということだろう。

最後に高久史麿先生の言葉で印象に残っていることの一つを紹介しておこう。

「教育の評価は難しいんです。大学でいえば、その評価は大学がどのような人間を輩出したかということに尽きるのではないでしょうか」

教育の評価は、その教育課程によって、その修了者がよりよい実践者、よりよい教育者となっていくことでしか考えることはできないのだろうと思っているが、それは高久先生のこの言葉の影響が極めて大きい。当たり前のことだが至極明言だと思う。

長谷川 剛

謝罪の問題

医療メディエーターの研修に参加したことのある人は、謝罪に2つの側面があるということを習う。共感表明と責任承認の2つの側面である。医療における望ましくない結果に対して、共感表明的な謝罪はすべきであるというように学んできたことであろう。

けれども実際に現場でさまざまな紛争事例に向き合っていると、多くの人が謝罪の問題はそんなに簡単には割り切れないということを感じているのではないだろうか?

そうこう悩んでいたところで、今回特別講演をお願いした古田徹也氏の『いつもの言葉を哲学する』(朝日新書)に出会った。同書では「謝罪にならない言葉」として「私の発言が誤解を招いたのであれば申し訳ない」とか「ご不快な思いをさせて申し訳ありません」という言葉を挙げている。それはそうかもしれない。だってこれらの言葉は、謝るべきは「誤解をさせたこと」や「不快な思いをさせたこと」だからで、相手に迷惑をかけた自らの行為については誤っていないからだ。「私の未熟さによって・・・」とか「私の不徳の致すところで・・・」といった言葉たちも、自分がなぜそれをしたのかについて具体的な説明を拒否するものであり、言い訳にしか聞こえないという状況となりうる。

以下、古田氏の記述に沿って要点だけを書き記そう。

「謝罪とは、当該の出来事に対する自分の認識を明らかにすること」であり、それは相手や世間の常識とおおむね合致していることが期待される。

「謝罪とは、認識の表明を踏まえて、自分がこれから何をするか約束すること」であり、謝罪は静的(static)な時間の流れの中のある一点で行われる儀式のようなものでなく、むしろそこがスタート地点であるということだ。同書ではこの項目で被害・損害・損失を「埋め合せる」という表現で補償や補填の問題に触れている。当然そこでは責任とか償う、贖うといった表現も見られる。そうなれば次に出てくる問題は、「謝罪はいつ完了するのか」という難しい点だ。氏は謝罪と許しの関係をどう考えればよいのかという問題提起をされているが、紙幅の関係でこの議論は同書ではなされていない。

そして「謝罪もまた、対話の実践の一部である」と結論づけ、子供へ謝罪を教えるときの例示をもってこの項目を終えている。

かつてNancy Berlingerの『After Harm: Medical Harm and the Ethics of Forgiveness』において、医療事故後の問題としてDisclosure(説明)、Apology(謝罪)、Repentance(悔恨、良心の呵責)、Forgiveness(許し)などを重要なポイントとして挙げていて、それに感銘を受けて私なりに解釈して事故後対応について話をさせてもらっていたことがあった。

私自身は実は、医療安全の専門家であり、ヒューマンエラーであったり回避不能なエラーや失敗が医療現場で起こることを知っているし、一方でそのことで悲嘆に暮れる患者や家族がいることも知っている。そんな中で医療者には非はほとんどなくて、どちらかというと患者や家族が過剰に反応しているような状況の場合、あえて「ご不快な思いをさせて申し訳ない」とか、「ご心労をおかけして申し訳ない」という言葉は使っていたなと過去を振り返る。それは医療の当事者が一方的に悪いとか謝罪すべきことのように思えないからそういう言い方をしてきたのだと思うし、一方で何もかもこちらが悪いと謝罪できたらどれほど楽なことかとも思ってきた。双方の気持ちや立場を考えると間に立つもの(医療安全の担当者の場合もあるだろうし、メディエーターの場合もあるだろうし、弁護士や司直の人の場合もあるだろう・・・)はとても複雑な思いでこの対応を行っているということになるし、この点はメディエーターの方々にはご理解いただけるのではないかと思うのだがいかがだろうか。

古田氏には『それは私がしたことなのか』(新曜社)という著書があり、特別講演ではそこまで踏み込むことは時間の関係で困難だと思われるが、そこでは行為についてのさまざまな哲学者の議論を紹介し、「意図的行為」と「過失」についての大変難しい区別に挑んでおられる。刑法上の議論も当然含まれるしそれは不回避だが、一方でこの行為と責任の話題、意図的行為と過失の話題になると多くの論者は刑法上のターミノロジーと法学的な議論に引っ張られてしまい、本当に知りたいことにたどり着けない印象を持っているのは私だけなのだろうか?

結局のところ浅学者の私は、謝罪の問題は、あくまで「スタート」地点であるということ、医療現場においては、救い難い被害損害を負った患者やその家族との「対話のスタート地点」であるということ、そしてそこにはもう一つの重要な問題である「対話へ向かう意思」が存在しないと意味をなさないということ、その意思についてはさらに膨大な議論が必要とされること、というあたりをこの問題の結論にできないのかと思案する次第なのである・・・。

長谷川 剛

瀬戸際で、瀬戸際を考える。医療現場で人の生死に関わる意思決定をしなくてはならない場面はまさに瀬戸際だと思う。とても苦しい。様々な状況を考慮すればするほど苦しくなる。学生時代に学んだ生命倫理学の歴史に照らし合わせて、生命の尊厳を尊重すること を考慮すればするほどわからなくなる。かけがえのない一人の人間として、取り替え不可能なたった一人の人間として、目の前の人を大切に思えば思うほど、自らの意思決定の重圧に押しつぶされそうになる。瀬戸際である。助けを求めて倫理学の書物を読んでも、何か違うなと感じてしまう。倫理学の学問的理論を振りかざして一刀両断で結論を出す人を見ると何か違うなと思う。

古田徹也氏の『それは私がしたことなのかー行為の哲学入門』(新曜社)では次のような一説がある(p.257-8)。

倫理学とは、理論や原則に個別の問題をあてがって答えを出力するという、単純な作業ではあり得ない。個別の問題の複雑さや当事者たちの「傷」をそれとしても受けとめ、そこに出てくる様々な概念の意味や観念間の関係性を明らかにし、偏った視点と公平な視点 を共に視野に入れながら、論点を明晰に取り出していく必要がある。それはまさに、具体的な問題ごとに実地に行なわれる、手探りの探求である。様々な倫理的問題に対して、単一の理論の下に整合した解答を与えるというわけにはいかないのである。しかし、だからこそ、その探究はまさに「倫理学」という名を冠する営みでありうるし、真理に迫り、問題を本当の意味で解決しようとする営みでありうる。

ここで述べられている倫理学はまさに瀬戸際での思考のように思う。一方の極から逆側の極に振れてしまうのではなく、両極端を意識しつつ双方に振れながらも目の前の現実から目を逸らさず関わり続けながら考え続ける。苦しいがそういったことを目指し、そこに 光明を見出すこと、瀬戸際の向こうに光を見出すことが私たちの目指すことではないだろうか。

長谷川 剛

第12回医療コンフリクトマネジメント学会へ向けて

第12回医療コンフリクトマネジメント学会の会長を努めさせていただきます上尾中央総合病院情報管理特任副院長の長谷川剛です。

医療コンフリクトマネジメントはもともと医療紛争への対応として患者の立場と医療者の立場の双方が、話し合いを通じてお互いに新しい認識に至って双方ともに次のステップに踏み出していくプロセスを支援することを目指しています(と私は思っています)。

でも現実に医療現場でさまざまな医療裁判、医療紛争、クレーム、トラブル、苦情などに対応していると、ことはそんなに簡単なものではないということを痛感します。

ここ20年の医療の動きを振り返ってみたときに、医療メディエーションの普及はとても大きな意味があったと確信しています。その一方でこれだけでは解決できない、あるいは取り残された問題があることも事実だと思います。

今回の学会の中でもそういった話題が随所に現れてくると思います。これからのコンフリクトマネジメントを考えるヒントを掴んでいただければ幸いです。みんなでさまざまなことを考えていけるといいなと思っています。

テーマを『瀬戸際で/を考える』としました。なにやら変なテーマですね。

私たちが現実の医療現場で意思決定をする場合もちろん既知の理論を利用するし、さまざまな倫理原則を適用すると思います。私自身もそうしてきたと思います。しかし何かしっくりいかないのです。あるいは何か違和感を感じるのです。「こんなはずじゃないのにな・・・」と思ってしまうのです。現場で現実の問題に立ち向かう際には、もっと切実でもっとギリギリな感じがあるのです。それはまさに瀬戸際だなと思うのです。瀬戸際で、瀬戸際を考えていると思うのです。学会の前半では東京大学の哲学の古田先生にお願 いしてこの問題に接近しようと思います。これから古田先生と打ち合わせをするのですが、きっと皆様の知的好奇心を満たしてくれると思います。乞うご期待です。

長谷川 剛